
計算し尽くされた素材や線の重なり。そして、そのレイヤーが生み出す絶妙な「揺らぎ」。洗練されているのに家族の温かな暮らしを感じるA邸の空間づくりの秘訣とは?
想像を超える高みへ
玄関扉を開けた瞬間に目に飛び込んでくるのは、部屋の奥までズドンと抜けた大空間と、存在感を放つブラックのパーティション。思わず「おぉ…!」と声が漏れてしまうような唯一無二の空間で暮らすのは、ご夫婦共に一級建築士であるA夫妻と春から小学生の息子さん、そして毛並みの美しいロシアンブルーの愛猫モネちゃんです。これが二度目のリノベーションだという夫妻が以前のご自宅をリノベーションしたのは約10年前、息子さんが生まれる前のことだったそう。
「前の自宅は都心に近くて狭くても古くてもOK、と思って選んだ物件でした。ですが数年前に二人ともリモートワークが中心になって。子供部屋をワークスペースとしていましたが息子も小学生になるし、そろそろ子供部屋と別の空間が必要だよね、と住み替えを検討し始めました」と振り返ります。
生活環境が大きく変わらないよう、当時のご自宅近辺で希望条件に合うマンションを2棟に絞ったお二人。都内屈指の人気エリアであることから「売りに出た瞬間が勝負!」と、毎日物件情報をチェックしていたのだそう。
「1年くらいですかね。『物件情報が出た!けど高いな…。出た!けど狭いな…』を繰り返しつつ諦めずにチェックしていたら、やっと条件に合う物件が出てきて。一番手で内見をして、そのまま申込みさせてもらいました。部分的にリフォームはされていましたが、『やるからには絶対フルリノベ!』と心に決めていたので、そこからnuリノベーション(以下、nu)さんに相談にいきました」とご主人。実は1回目のリノベーション当時からnuの存在は知っていたというA夫妻ですが、当時は家づくりに求めるものの違いから、nuへの相談は見送っていたのだそう。
「当時は若くて尖っていたので、『設計はこっちでやるから、図面を仕立ててもらえればいい!』って思っていて(笑)。あれもこれも自分たちで決めたい!やりたい!だったからこそ、nuさんには依頼しなかったんです。でも今回2回目のリノベができると なったら、“2 人の考え+αの提案をしてもらいたい” と思うようになって。当時から印象的な施工事例を手がけていた nuさんに依頼することにしたんです」。そう話すご主人に続けて奥様も、「前の家も気に入っていたんですが、“思ったものが、思った通りにできた” という感じで。今回は自分たちだけではつくれないような家にしたいという想いが強かったよね」と、10 年かけて変化していった価値観に思いを馳せます。
「想像を超える提案ができるパートナーがほしい!」そんなお二人の思いを乗せて、いよいよ初回のプレゼンテーションへと進んでいきます。
建築を愛する3人
「ファーストプレゼンの内容は、かなり斬新でした。もちろん、いい意味で!(笑)」と楽しげに振り返るご主人。 実は設計デザイナーへ要望を伝えるヒアリングの際に「私たちの要求は一旦置いておいて、今回の家づくりの可能性や方向性を定めるために、自由な発想でプランを考えてみてほしい」とリクエストしたというA夫妻。そんな経緯もあって、提案されたプランは『生活する場所』という現実味を遥かに凌駕するプランだったと言います。
「どのプランも、そのまま暮らすのは難しそうだなというほど突飛なプランで (笑)。でも、私もプレゼンテーションまでの期間でいくつもプランをつくって『これ以上浮かばないな…』と思っていたところだったので、その非現実性が逆に良かったんです。妻はもう目をキラキラさせていて!(笑) そこからは、大きく広がった可能性と、私たちが本当にしたい暮らしを照らし合わせてプランを煮詰めていきました」とご主人。
『Drafting』と銘打たれたそのファーストプランは、線や素材など空間を構成する要素をレイヤーのように重ね合わせ、心地よい家族の居場所が連続していくような空間をイメージ。“住宅” という概念に収まらないプランやデザインの提案は、建築・設計に精通したお二人だからこその固定概念を打ち破るような衝撃があったそう。
「型通りの住宅をつくろうとすると、どうしてもやりたいことに対して面積が足りなかったんです。でもキッチンを大胆に動かして回遊動線を生み出したり廊下としての通路にそれ以上の意味を持たせたりと、通常の住宅設計にはないユニークな発想で提案してくれたのが印象的で。私たちのリクエストに対して、プランとして良い回答をもらえたのが嬉しかったです」と声を揃えます。元々お風呂の横に壁付けでレイアウトされていたL字キッチンは、エントランスとリビングを繋ぐ位置へ大胆に移動。家のちょうど中心となる位置に設えたことで空間の隅々まで目が届く、まさに暮らしの中心地点となっています。バックカウンターはブラックのパーティションとリンクするよう框のデザインで戸板を構成。リビング側にはモールテックスのロングベンチ、土間側には奥様の ワークスペースをレイアウトし、直線上に暮らしのさまざまなシーンが連続するように設えました。
「誤魔化しやフェイクは絶対に嫌で、素材に合わせた正しい納まりにしたいとお願いしました。デザイナーさんがその意図を上手にキャッチしてリードしてくれたおかげで、希望通りの雰囲気をつくれました」とご主人。躯体の壁や天井、モールテックスなどの無機質な素材感に合わせる木は彩度を抑え、主張しすぎない温かみを演出。グリーンやファブリックなどの有機的な要素との架け橋となり、A 邸全体に居心地のいい纏まりを生み出しています。
個室を隔てる木のパーティションは所々にガラスをはめ込み、光と視線の程よい抜けを確保。これは『生活の断面を見せる』というパーティションに込めたテーマを体現したデザインで、意匠性を追求した空間の中にも家族の暮らしの存在を確かに感じられるよう、あえてガラスの比重を多く設えているのだそう。
「個室側から漏れる灯りをキッチンから眺めて家族の存在を感じる、その瞬間が幸せなんです」と微笑む奥様。その言葉通り、同じ空間にいなくても家族が何かをしている雰囲気を感じ取れるのは、仲良しなAさん一家にぴったりのデザインです。例に漏れず、ガラスを留める押縁の寸法、格子のグリッド幅などは木としての納まりをとことん追求。細部まで目を凝らしてもこだわりを感じられる、建築愛の結晶とも言えるパーティションが完成しました。さらに、もう一つ特筆したいポイントは床材の切り替えについて。A邸ではメインの床材にはオークのヘリンボーン、個室にはコルク、収納や水回りには塩ビタイルと、空間によって様々な床材を取り入れています。通常であればパーティションを境に床材を切り替えることが多いですが、A邸ではパーティションを超えて約40cmほど、ヘリンボーンが個室側へ侵入しています。 これはご主人のアイデアだったそうで、「『寝室の壁の凹凸で床を切り替えて、あえてパーティションとラインをずらすのはどうかな?』と提案したんです。そしたらデザイナーさんも『いいですねそれ、採用!』となって(笑)。お互い設計をやっている 者同士通じる熱みたいなものがあって、打合せは終始楽しかったです」とご主人。 線の重なりが揺らぎを生み出し、整ったデザインの中に肩の力が抜けるような柔らかさをつくり出す…。『Drafting』というコンセプトのA邸ならではの発想です。玄関やリビングの窓周りの壁と天井に採用した木毛セメント板も、夫妻と設計デザイナーの建築愛の相乗効果で行き着いた素材。本来下地として使われるこの素材を仕上げに使いたいという A さんのリクエストを受け、より繊維が細かく意匠性の高い建材を デザイナーから提案し、採用が決まったそう。「木毛セメント板の繊維って、うどんくらいの太さが一般的なんですが、『素麺くらい細いのがあります!』って教えてくれて(笑)。私たちがリクエストすることに対して、プラスαの提案を添えて応えてくれるデザイナーさんには信頼感がありました」と、ユニークな例えを交えて教えてくれた奥様。素麺を思わせる繊細な木毛板の表情は、隣り合う躯体壁の無機質な質感とも絶妙にマッチしています。
A夫妻とデザイナー。マニアックなほどに建築・設計を愛する3人がつくり出したのは、“家” という常識を超えつつも、本来あるべき快適性や温もりを見失わない、現代の暮らしにおける本質を感じさせる空間と言えるのかもしれません。
受け継がれる建築愛
1回目のリノベと比較して、子育てをしながらの家づくりはなかなかまとまった時間が取れず、好きなものやパーツ毎のイメージはあるものの、最終的にどう纏めるかまでは2人だけでは検討しきれなかったと言う夫妻。
「本当に、詰め合わせ弁当のような状態だったので(笑)。今回のリノベーションではデザイナーさんに材料を渡して、うまく料理してもらったと言う感覚ですね」と、ご主人。
その要素の一つとして外せないのが奥様が以前から好きだというジャン・プルーヴェのインテリアで、ダイニングチェアと子供部屋のアームランプ、窓辺に置いているスツールもプルーヴェ作品。建築家でもあるプルーヴェのシンプルかつ細部まで合理的なこだわりがデザインされた作品にはA邸と通じるものがあり、夫妻が提示した材料がしっかり空間に落とし込まれていることが感じられます。
そんなお二人と設計デザイナーのやりとりを間近で見ていた息子さんもリノベの打合せを毎回楽しみにしてくれていたそうで、この家が完成するのを誰よりも楽しみにしていたんだとか。「この家にきてから、夜お風呂に入ってから寝るまでがすごくスムーズになったんです。寝つきも良くなって。私たちが『こういう風に生活したい』と思い描いた暮らしを、素のままで体現してくれています」。
そんな息子さんに将来の夢を尋ねると、少し照れつつも「建築家になりたい」とのアンサー。隣でその様子を見つめていたお二人は、「僕たちが言わせてる感ありますね!(笑)」と笑いつつも、なんだかとても嬉しそう。
素材やラインの重なりがつくり出す絶妙な揺らぎ。静謐なのに、暮らしの温かみが詰まっているA邸特有の空気感の秘訣は、親から子へと受け継がれる建築への情熱と、溢れるほどの家族愛に隠されていたようです。