無機質な空間の要所に用いたカラーリングが特徴的なS邸。波長や考え、感覚といった言語化できない要素を住まいに落とし込んだ、“音楽”をテーマにした家づくりの最適解とは。
人生でやってみたいこと
「人生の経験として、いつかリノベーションをしてみたかったんです。昔から雑誌などで色んなリノベ空間を見ていたので、憧れがありましたね」。そう話すのはS邸のご主人。昨年、練馬区にある約68㎡の中古物件を購入し、念願のリノベーションを果たしました。
nuリノベーション(以下、nu)を知ったきっかけは、マガジンハウスが運営するウェブマガジン『ToKoSie』だったそうで、過去の事例も含めnuのデザインに魅力を感じコンタクトを取りました。また、インテリアが好きなご主人にとって、インテリアスタイリングサービス<decoる>の存在も頼もしかったと言います。現に今回のリノベでは家具をほぼ新調し、憧れだった家具もいくつか取り入れ、インテリアありきのリノベーションを楽しみました。
そんなSさんが物件探しで特に重視していたのが、エリアです。長年住み慣れた池袋近辺で、アドバイザーと二人三脚の物件探しをスタート。当初は75㎡以上の広さを希望していましたが、エリアや、マンションの雰囲気が落ち着いている物件であることを最優先させて、当初の希望よりもコンパクトな約68㎡の物件を購入しました。
「全部で5、6件内見したのですが、総合的にここが一番よかったですね。池袋まで10分ちょっとでアクセスできる上に、管理状態も良好で、住人の方同士もきちんと挨拶をされていて安心できました。あとはアドバイザーさんがこの物件をオススメしてくれたことも大きかった。一緒に物件を探していく中で、『平米数はプランニングでカバーできるから、リノベ費用をしっかり確保できるように60平米台の物件も視野に入れてみましょう』や『リノベしがいのある築古物件だけど、この劣化はリノベで改善できるレベルじゃないのでオススメしません』とか。いい部分だけじゃなくて、悪い部分もきちんと話してくれて、すごく信頼できるなと。そういう人が太鼓判を押してくれる物件なら、安心できるなと思ったんです」と、ご主人。長年温めてきたリノベーションストーリーがついにスタートしました。
「この曲に似合う家をつくってください」
担当デザイナーとの初顔合わせの席でSさんは、とあるテクノサウンドを流しました。それはアルヴァ・ノトの『Deuterotype』。音飛び、デジタルノイズ、コンピューターのエラー音のような通常音楽では使われないような音を切り込んだノイジーなメロディーです。
「デザイナーさんには、この曲に似合う家をつくってくださいと伝えました。僕にとっては絵や家具に合わせて空間をつくるのと同じで、音楽を家づくりのテーマにすることは自然な選択でしたね。学生時代から音楽が好きでDJをしていたこともあったので、地続きなかんじで。住宅は雰囲気が全てで、そこに欠かせないのが音楽だと思っています。だからせっかくリノベするなら、音楽と建築が融合した家をつくりたいと考えていました」とご主人。
そんなSさんに対しデザイナーは、“feeling”というコンセプトを提案。波長や考え、感覚といった、音楽と同様に言語化できない要素を大切にし、件のテクノサウンドが似合う魅力的な雰囲気をつくり出すことをテーマとしました。
こうして出来上がったのは、躯体現しの天井にざらっとしたテクスチャーのアクセント壁、床全面に敷かれたグレーのタイルなど、あまり住宅っぽくない無機質で温度の低い空間。Sさんの言葉を借りるなら「そっけなさというか、ノンフレンドリーな空気感」が充満し、そこがまさに感情やドラマ性が排除された機械的なテクノサウンドの雰囲気に通ずる部分があります。
言語化できない魅力を纏ったこの絶妙なアトモスフィアは、アルヴァ・ノトのテクノな旋律を心地よく響かせ、Sさんを究極の癒しへと誘います。
温度の低い空間でありながらも、イエローやグリーン、ブルーなどのカラーが要所に配され、単調になりすぎない工夫が凝らされているS邸。こだわりを尋ねてみると、「もう少し無機質な冷たい感じでもいいなぁと思っていたのですが、それだと妻の纏っている雰囲気には合わない気がして。それで少し白を足したりキッチンやワークスペースに色を入れたりして、バランスを取っていきました」とご主人。
LDKの印象を司っている造作のキッチンは、奥様たっての希望でマスタードイエローに。「全部夫の好きにさせてあげたいと思いながらも、ここは私が色々と決めていきました(笑)。少し温かみのある感じが好きなので、空間が明るくなるようにイエローを選んだのですが、パステルっぽい感じじゃなくて深みのある黄色になるように夫が調整してくれました」と、朗らかに話します。
キッチン扉には取っ手を付けずに、デザイナーの提案で丸穴彫り込み加工を施したシームレスなデザインに。彫り込み加工の意匠性も相まって、まるで家具のような美しい設えに仕上がっています。
また、S邸のもう一つの特徴が間取りです。中央に水回りを纏め、左右それぞれにLDKと個室を配置。趣味でアプリや音楽を作ることもあるクリエイター肌のご主人の個室は、趣味も仕事も存分に楽しめるようリビングや奥様のワークスペースとは切り離した場所に配置されています。「リビングから離れているのでプライベート感がありつつも、扉や壁がないので開放的でいいですよ。グリーンが好きなので、天井に色を入れてもらいました」とご主人。それから、「私は大画面でNETFLIXとかサブスクを観るのが好きなんですけど、夫の部屋と離れているおかげで心置きなく映画鑑賞が楽しめています。ソファに寝転んでのんびり観る時間が至福ですね」と奥様が続けます。
お互いがそれぞれの時間を大切にできるようにゾーニングされているけど、扉や壁を極力排除したおかげで、“区切られているのにつながっている”そんな絶妙な距離感が保たれている。つかずはなれずなこの空気感もまたSさんが求めていた雰囲気の一つです。
響き続ける余韻
今回のリノベーションでは、家具のスタイリングにもこだわりを発揮したご主人。ダイニングテーブルは、憧れだった<vitra>のEMターブル。チェアも同じシリーズで揃え、脚はキッチンのマスタードイエローの補色であるブルーを選びました。他にも<Montana>のブルーのワイヤーシェルフ、<FLANNEL SOFA>のダークグリーンのソファなどS邸の配色に似合う家具を新調し、色物の家具を入れつつも、ご主人の求めていた“無機質でノンフレンドリーな雰囲気”を崩さないよう全体を纏め上げました。
「家具は設計チームの皆さんに沢山相談に乗ってもらいました。3ヶ月の設計期間で信頼関係ができていたというか、夫の好みをわかってもらえていたので、迷った時のジャッジはいつもデザイナーさんたちに任せてたよね(笑)」と奥様。それからご主人は、「サイズ感を検討したい時とかは図面上に紙で切り抜いた家具をプロットしてもらって、最適解を検証しながらたくさん話しました。そういう時間も含めてリノベーションが楽しかったです」と続けます。
Sさんがこの家で暮らし始めてから半年と数ヶ月。さいごにリノベ後の暮らしで幸せを感じる瞬間を尋ねると、「全部じゃない?」と、頬を緩ませるお二人。
その中でも奥様は特に、「ビルトインオーブンを採用したおかげで、料理の時間が楽しくなりました。学生時代にアメリカに留学していたんですが、向こうの家は賃貸でもビルトインオーブンが普通で、憧れだったんです。置き型のオーブンより火力が強いので、クリスマスのチキンやピザもすごく美味しく焼けるんですよ!」と目を輝かせます。
リノベ後は二人でキッチンに立って料理をしたり、食後のティータイムを楽しんだりすることも多いそう。「どっちかがコーヒーを淹れて、その間にもう一人がお菓子を準備したりね。今の家は、一緒に過ごす時間とお互いの時間、両方楽しめるのがいい。この間取りのおかげでメリハリのある暮らし方ができています」とご主人。リビングと程よい距離を保った個室だからこそ、奥様からプレゼントしてもらったというスピーカーを活躍させて、存分に音楽を楽しむこともできているのだとか。
ハードすぎず、でもクリーンでスッとした空気感が漂うS邸。その絶妙な温度感がノイジーなテクノサウンドと混ざり合い、いつまでも心地いい余韻が響き続けています。